彌彦神社バーチャルガイド その壱(一の鳥居~玉の橋)(←初めての方はこちらからご覧下さい)
石橋を渡り、参道から右へ曲がる
日本鶏舎、鹿苑にて
冬囲いのため、良く見えませんが、
こちらの鶏舎には、県内愛鶏家より寄進された天然記念物に指定されている日本鶏17種類を展示飼育しております。中には新潟原産で日本三長鳴き鶏として有名な濁鶏(とおまる)も含まれています。
右に鹿苑がございます。
万葉集に
「いやひこ神の麓に今日らもか鹿の伏すらん皮ころも着て角つきながら」
と詠まれている事を偲び、大正二年に奈良の春日神社の神鹿を一番(ひとつがい)もらい受け、育てたのが年々増えて現在にいたっております。
鹿苑の奥に弓道場、左に相撲場、道路を挟んで奥に桜苑がございます。
相撲場には屋根があったのですが数年前の台風で壊れてしまい、今はございません。
ここでは毎年8月27日には江戸時代から続く神事「相撲節会(すもうせちえ)」に併せて、
奉納相撲大会が開催されます。
鶏舎を過ぎて
皆様、ちょっと見えにくいですが右手の木立の中をご覧下さい。
石碑が二本ございます。
長い方の石碑、文字が読めない程ですが「國幣中社彌彦神社」と書かれてます。
文字が風化して読めなくなったのではありません。
国幣中社とは延喜式に定められた旧社格で、新潟には大社は無く、中社は彌彦神社のみとなってました。
元々は一の鳥居脇に設置されておりましたが、敗戦後、国との関わりの深い神社は危ないとの噂から文字を潰してこの場に移したそうです。
その隣の「百度石」は文字通り、お百度参りの時に折り返し地点にあったものですが
「何故ここに移したのか?」との質問に
当時を知る神社の職員は「単に邪魔だったから一緒に移した」と言ってました(^^;
まあ、戦後にはお百度参りをする方も居なかったようですし(^^)
左折して参道に戻る階段を登って
津軽火の玉石
皆様、ちょっとこちらの奥までお越し下さい。
標識も説明もございませんが
この二つの石、津軽火の玉石と呼ばれております。
昔、津軽藩の殿様を乗せた北廻船が佐渡沖を航行中に嵐に遭い、
「もし助けてくれるならこの船の帆柱を鳥居にして納めます」
と彌彦神社に向かって祈ったところ、たちまち嵐は納まり無事に弘前城に戻られました。
人間喉もと過ぎれば何とやらで約束をすっかり忘れていたところ、夜な夜な火の玉が城内に飛び交うようになり、難渋されました。
殿様は約束事を思い出し、帆柱と津軽の山から切り出した大木で造った大鳥居を奉納したところ、
火の玉も無くなったそうです。その時鳥居と一緒に奉納した火の玉がこの石だと言われています。
一の鳥居の真ん中の柱が浮いているのは、帆柱が鳥居には少し寸足らずだったという説もあります。
また、別名を「重軽の石」とも呼ばれております。
願い事を心の中で念じ、それを思いながら石を持ち上げます。
自分が思ったより軽く感じましたなら願い事が叶い、重く感じたら叶わないと言われています。
ではお試し下さい(^^)
観光客役部員S:「お….重いです」
残念ながらS君の願いは叶わないようです(^^;
ガイドOさん:「石は二つあるので最初に奥の大きい方を持ってから手前の方を持つと軽く感じますよ」
観光客役青年部全員:「おぉ~そんな裏技があったとは」
ガイドOさん:「いつも持った後に教えてあげます(^^)」
….その参に続きます