彌彦神社バーチャルガイド その壱(一の鳥居~玉の橋)(←初めての方はこちらからご覧下さい)
宝物殿を奥に見て
奥に見えますのは、彌彦神社に奉納された文化財を展示した宝物殿です。源義経の軍扇、上杉輝虎(謙信)の祈願文をはじめ、重要文化財の志田大太刀(しだのおおたち)、大鉄鉢(おおてつばち)、重要美術品の青磁香炉、その他県内出身の著名作品50点ほどが年間を通じて一般公開されております。
大火前はここに社殿がありました。
縄で囲まれた場所が昔の本殿です。
宝物殿裏には、日本では唯一、村営の競輪場となっている弥彦競輪場がございます。
観光客役部員K:「何故神社の裏に競輪場?」
ガイドOさん:そう聞かれる事も多いのですが、元々は県内の石油会社が陸上グランドを彌彦神社に奉納した場所が競輪場として使われるようになりました。
これは日本初の石油蒸留釜で平成13年柏崎の日本石油加工㈱柏崎工場より奉納されました。
全国に二基しか現存しない大変貴重なものです。
新潟の石油産地だった蒲原・三島・刈羽・古志の各郡内は弥彦信仰の地域とほぼ重なっています。
関係者は石油を掘るにあたっては、まず彌彦神社に祈念して発掘の成功と工事の安全を願ったそうです。
その結果、彌彦神社は石油の守護神となり、その信仰は秋田県をはじめ県外にも広りました。
戦後になって海外での大規模な石油発掘が始まると、例外なく第一に彌彦神社に参拝して祈願するなど、今でも石油の守護神として大きな信仰を集めています。
二の鳥居の手前
二の鳥居の右側にありますのが、彌彦神社の御神木です。
神様がこの地を訪れた時、お持ちになっていた椎の杖を地中にさし、
「この土地が私が永住するにふさわしい所ならば、根を生じ芽を出し繁茂するであろう」と仰せられました。
すると見事に生育し、大木になったと伝えられています。
大火で焼けてしまいましたが、また芽をだして育った事から「やはり御神木なんだ」と人々を驚愕させました。
現在は少し上のほうは枯れかかっておりますが、下からまた若い枝も出てきております。
下には彌彦神社を度々訪れた良寛の御神木を詠んだ句が掲げられております。
その四に続きます。